学校教育がデータに照らして危機にあるかと言えば、必ずしもそうは言えません。学力テストの成績でも、不登校やいじめの発生件数にしても、多少の上下はあっても、著しく悪化しているわけではないのです。ですから、今までのやり方でよいではないかという意見は、現場を中心にかなり強いように見受けます。
しかし、学校教育の大きな変革はいくつかの内と外の要因により避けがたく思われます。1つは政治的な要因です。教育のあり方が国家施策の1つの大きなテーマとなり、また国の戦略の一端を占めるようになりました。冷戦時代のイデオロギー対立はほとんど消えたものの、財政や分権化また国際競争やグローバル化を背景に新たで多様な政治的イシューが教育を巡って提起され続けています。そういった事態は学校や子どもにとって幸いなことかどうか分かりませんが、否応なくそうならざるを得ない時代に我々は暮らし始めています。
第2の要因は財政的な事情です。教育の質の向上が教職員の増加や財政的支援の増大を伴うことは明らかだと思いますが、しかし、それは容易なことではありません。他の必要なことに増して重要なのかどうか。そこまでの国民的な合意が得られるのか。だとすると、何らかの節約を可能にする中で、投資を多く必要とするところを選び出す必要があります。そういった整理は否応なく求められるでしょう。
そういった外的な要因に対して、内的な要因もまた変革を促しています。1つは、子どもの側の生活や感性・価値観の変化です。少子化と経済的な豊かさの中で子どもが自らの居心地のよさを優先し、他への配慮や将来に向けての努力といった態度は成り立ちにくくなってきています。時代への変化の速度が増す中で、大人の側もそれに対してどう対処してよいのかうまく見いだせていません。
第2の内側の要因は、その時代的な変化が、とりわけ家庭による違いを格差として拡大していると思われることです。学校はどの子どもにも違いがないという建前の下で、出来る限り平等の扱いを強調してきました。しかし、それは一方で中高における私学教育の広がりと、もう一方における学校教育からの脱落層の増加により脅かされてきています。学校の民主的市民的価値を保持しつつ、また国民的基盤を形成する使命を果たしつつ、多様な層への教育をいかに進めるかが問われるようになってきました。
第3の学校教育の内側の要因は教員の力量形成の循環、この機構がうまく動かなくなったという問題です。学校内の授業研究会や学校の外の教育委員会による、また私的な研修会への参加が停滞してきている上に、財政難の中でその参加が削られてきています。若い教員が世代交代で激増していくにもかかわらず、その育成は十分とは言い難いでしょう。
では、どうしていったらよいのか。多くのことがあろうと思いますが、私はとりわけ3つのことを強調したいと思います。1つは、個々の学校を中心として、授業や学校の指導や運営のあり方を絶えず見直すことを活発化するように奨励し、またそのための支えを行政側からも提供していくことです。
第2には、教育に関わる研究者が教育学部を中心に数多くいるのですから、それらの人材が学校の支援として機能するようにしていくことです。
第3には、学校への支援とその成果の検証を通して、国レベルでの施策の方向を決めていくことです。
教育は人の営みです。教師が動きやすくなる環境と、優れた教師を核として学校でのチームワークを作り出すこと。これらが学校教育を再構築する基本であることは変えようがないのです。 |