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ヒトとそれ以外の霊長類の比較研究から何が分かるか
─比較認知発達(ベネッセコーポレーション)研究部門の発足─
松沢哲郎[京都大学霊長類研究所所長]

世界有数の霊長類研究機関である京都大学霊長類研究所に2006年10月、ベネッセコーポレーションの寄附研究部門として「比較認知発達(ベネッセコーポレーション)研究部門」が発足した。
今後、同じ霊長類であるヒトやチンパンジーなどを対象とし、親子間コミュニケーションや乳幼児期の子育てなどの比較研究を行っていく予定だ。
所長である松沢哲郎先生と2名の専任研究者に、寄附研究部門の目的や研究内容、将来像についてうかがった。
今後、同じ霊長類であるヒトやチンパンジーなどを対象とし、親子間コミュニケーションや乳幼児期の子育てなどの比較研究を行っていく予定だ。
所長である松沢哲郎先生と2名の専任研究者に、寄附研究部門の目的や研究内容、将来像についてうかがった。
比較認知発達研究部門の意義と目的
─進化の隣人であるチンパンジーとの比較研究 によって「人間とは何か」の命題に迫る─
─進化の隣人であるチンパンジーとの比較研究 によって「人間とは何か」の命題に迫る─
霊長類研究を通してヒトの進化を知る
私たち京都大学霊長類研究所の比較認知発達研究部門が、どのような研究を行っているかをご理解いただくためには、霊長類研究所の創設に遡って話をする必要があります。
霊長類研究所は、1967年に京都大学に付置された全国共同利用の研究所(京大だけでなく他大学や企業の研究者も利用できる)として発足しました。こうした研究施設の嚆矢は、湯川秀樹先生のノーベル賞受賞を記念して京大に創設された湯川記念館(後の京大基礎物理学研究所)です。こうした全国共同利用の研究所として霊長類研究所の創設を時の首相(池田勇人)に勧告したのは日本学術会議ですが、当時の議長は、同じくノーベル賞受賞者である朝永振一郎先生でした。
一方、日本のサル学(私はこの呼称を好みませんが)の始祖といえば今西錦司先生です。今西先生が宮崎県の幸島でニホンザルの研究に着手されたのが48年。58年にはアフリカでゴリラの研究を始められますが、そのころほぼ同時期に、すでに欧米の研究者たちがアフリカに入り始めていた。今西先生は、日本が世界に先駆けて進めてきた霊長類研究が欧米に追い越されるとの危機感を持たれ、国家的な研究機関の設立を切望されました。その思いを京大山岳部の同期生だった桑原武夫先生に伝えたわけですが、桑原先生は当時、日本学術会議の副議長をされていた。そこで、桑原先生が議長である朝永先生に働きかけ、これが先の勧告へとつながっていったわけです。
霊長類研究所は、「ヒトを含めた霊長類の基礎的研究を総合的に推進すること」を目的として創設されましたが、霊長類研究の核をつくられた今西先生らが当時取り組んでいたのは、いわば「霊長類社会学」でした。48年当時は、ニホンザルの群れにボスがいることすら知られていなかったのです。しかしながら、霊長類の総合的研究には形態学、心理学、神経生理学など、多様な分野からのアプローチが必要です。そこで今西先生は、霊長類研究所の創設に際して、社会学だけでなく脳の研究、心理の研究、身体の研究というように多くの研究部門をつくられた。これは卓見であったと、私は思います。
私自身は、76年に心理研究部門の助手として霊長類研究所に入りました。当時、人間の社会や体が進化の産物だという認識はありましたが、人間の心(知覚、認知、記憶)も進化の産物であるという認識も研究成果もありませんでした。自分自身の30年間にわたる霊長類研究所での仕事を振り返れば、人間の心も進化の産物であることを、人間に最も近いチンパンジーとの種間比較によって明らかにしてきた、ということになるでしょうか。
自分の研究には、大きく三つのエポックがありました。第1のエポックは30年前のアイとの出会い。アイというチンパンジーによって、アラビア数字を理解し図形文字を記憶できる知性がチンパンジーに備わっていることが分かりました。第2のエポックは、86年に初めてギニアのボッソウを訪ねて、野生のチンパンジーの調査を開始したことです。この調査によって、アイの示したような高い知性が、野生の中でどのように用いられているかを知ることができた。そして第3のエポックは2000年、霊長類研究所における3組の母子の誕生です。1人のチンパンジーを対象とした研究では知り得なかった親子関係や協力する心の研究など、いわば知性の社会的側面の研究が可能になりました。また、母親が育てているチンパンジーを0歳から継続的に観察することで、知性の社会的側面がいかに発達していくかということも研究できることになったのです。
こうした研究に比較認知科学という名を自ら冠したのは90年のことですが、比較認知発達研究部門は、こうした研究の流れを継承し発展させる部門ということになります。
霊長類研究所は、1967年に京都大学に付置された全国共同利用の研究所(京大だけでなく他大学や企業の研究者も利用できる)として発足しました。こうした研究施設の嚆矢は、湯川秀樹先生のノーベル賞受賞を記念して京大に創設された湯川記念館(後の京大基礎物理学研究所)です。こうした全国共同利用の研究所として霊長類研究所の創設を時の首相(池田勇人)に勧告したのは日本学術会議ですが、当時の議長は、同じくノーベル賞受賞者である朝永振一郎先生でした。
一方、日本のサル学(私はこの呼称を好みませんが)の始祖といえば今西錦司先生です。今西先生が宮崎県の幸島でニホンザルの研究に着手されたのが48年。58年にはアフリカでゴリラの研究を始められますが、そのころほぼ同時期に、すでに欧米の研究者たちがアフリカに入り始めていた。今西先生は、日本が世界に先駆けて進めてきた霊長類研究が欧米に追い越されるとの危機感を持たれ、国家的な研究機関の設立を切望されました。その思いを京大山岳部の同期生だった桑原武夫先生に伝えたわけですが、桑原先生は当時、日本学術会議の副議長をされていた。そこで、桑原先生が議長である朝永先生に働きかけ、これが先の勧告へとつながっていったわけです。
霊長類研究所は、「ヒトを含めた霊長類の基礎的研究を総合的に推進すること」を目的として創設されましたが、霊長類研究の核をつくられた今西先生らが当時取り組んでいたのは、いわば「霊長類社会学」でした。48年当時は、ニホンザルの群れにボスがいることすら知られていなかったのです。しかしながら、霊長類の総合的研究には形態学、心理学、神経生理学など、多様な分野からのアプローチが必要です。そこで今西先生は、霊長類研究所の創設に際して、社会学だけでなく脳の研究、心理の研究、身体の研究というように多くの研究部門をつくられた。これは卓見であったと、私は思います。
私自身は、76年に心理研究部門の助手として霊長類研究所に入りました。当時、人間の社会や体が進化の産物だという認識はありましたが、人間の心(知覚、認知、記憶)も進化の産物であるという認識も研究成果もありませんでした。自分自身の30年間にわたる霊長類研究所での仕事を振り返れば、人間の心も進化の産物であることを、人間に最も近いチンパンジーとの種間比較によって明らかにしてきた、ということになるでしょうか。
自分の研究には、大きく三つのエポックがありました。第1のエポックは30年前のアイとの出会い。アイというチンパンジーによって、アラビア数字を理解し図形文字を記憶できる知性がチンパンジーに備わっていることが分かりました。第2のエポックは、86年に初めてギニアのボッソウを訪ねて、野生のチンパンジーの調査を開始したことです。この調査によって、アイの示したような高い知性が、野生の中でどのように用いられているかを知ることができた。そして第3のエポックは2000年、霊長類研究所における3組の母子の誕生です。1人のチンパンジーを対象とした研究では知り得なかった親子関係や協力する心の研究など、いわば知性の社会的側面の研究が可能になりました。また、母親が育てているチンパンジーを0歳から継続的に観察することで、知性の社会的側面がいかに発達していくかということも研究できることになったのです。
こうした研究に比較認知科学という名を自ら冠したのは90年のことですが、比較認知発達研究部門は、こうした研究の流れを継承し発展させる部門ということになります。
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