BERD 2007 No.9
【特集】
インタビュー
profile
矢野眞和
昭和女子大学人間社会学部教授
やの まさかず

昭和女子大学人間社会学部現代教養学科/大学院生活機構研究科教授。工学博士。
東京工業大学工学部卒業。民間会社勤務、東京工業大学工学部助手、国立教育研究所研究員、広島大学教育研究センター助教授、東京工業大学大学院社会理工学研究科社会工学専攻教授、東京大学大学院教育学研究科教授を経て現職。
編著書に『大学改革の海図』『高等教育の経済分析と政策』(以上、玉川大学出版部)、『教育社会の設計』『生活時間の社会学〜社会の時間・個人の時間〜』(以上、東京大学出版会)などがある。
Refarences
●『大学改革の海図』矢野眞和著/玉川大学出版部/2005年
●『教育社会の設計』矢野眞和著/東京大学出版会/2001年
●「なぜ、大学に進学しないのか〜顕在的需要と潜在的需要の決定要因〜」『教育社会学研究第79集』矢野眞和・濱中淳子/2006年
BERD
   PAGE 1/5 次ページ

日本の大学が直面している真の課題とは
── 教育財政の拡充と研究の基盤整備の必要性──
矢野眞和[昭和女子大学人間社会学部教授]

矢野眞和
 教養部の改組、大学院重点化、国立大学の法人化、評価の義務化 90年代からの激しい変革の波と18歳人口の減少による市場競争の圧力は、多くの大学に自己改革を促した。
 しかし、個々の大学の努力だけでは解決できない大きな政策的課題が浮上してきた。
 次世代の若者を育てる高等教育への投資は国民的な課題と指摘する矢野眞和先生に、教育と財政の観点から大学問題を語っていただいた。
「大学全入の時代」の裏に隠されている問題
 この1、2年で「大学全入」の時代が来る、とジャーナリズムではよく話題に上ります。18歳人口の減少にともない、大学の志願者数と入学者数がほぼ同じになる、と。したがって大学は生き残りを賭けて自己責任に基づく競争をしなければならない。今まであまり学生に関心を持たなかった教員も、教育熱心にならなければ学生からそっぽを向かれる。こうして市場競争の圧力が大学の自己改革を促している 。
 大学が直面している現状は確かにその通りです。振り返れば、1991年に実施された「大学設置基準の大綱化・簡略化」が大学改革の契機となりました。一般教育と専門教育の区分が廃止され、カリキュラムが大幅に自由化されて、教養部の改組と大学院の重点化が図られました。2004年に実施された国立大学の法人化と評価の義務化で、大学は更なる改革の潮流に巻き込まれます。こうした改革の潮流と市場競争の圧力が重なって、大学を取り巻く環境はますます厳しさを増しています。生き残りのための模索や、倒産の危機に瀕する大学の対症療法は重要な問題に違いありません。しかし、その前に解決しなければならない、もっと深刻な課題が忘れられています。
 「大学全入」とは何を意味するのでしょう。「進学を希望すれば誰でも大学に入れる」時代なのでしょうか。そうではありません。正確には「志願して願書を出せば誰でも大学に入れる」時代です。その裏には、進学を希望していて、学力があるにもかかわらず、経済的理由で願書を出せない高校生が少なからず存在しています。このことが大きな問題です。
図表[1]中学の成績と進路の人数分布 それを裏付けるデータを一例、紹介しておきます(図表1)。高校3年生2000名を対象に、05年11月に進路希望を調査し、翌年3月末時点での進路決定を追跡調査したものです(進路決定の有効回答数1728人)。ちなみに回答者の現役進学率は56%に達していて、大学進学率50%前後という公式統計を上回っています。この調査では、中学校と高校3年の時の成績を5段階で自己評価してもらいました。中学時代の成績のうち、その5段階を「上/中の上」「中」「中の下/下」の3段階にまとめ、それぞれの進路を「大学進学/受験浪人/非進学他」の三つに分けて集計しました。
 これによると、成績が「中の下/下」と答えた生徒の46%が進学しています。ところがその一方で、成績が「上/中の上」と答えた生徒の21%が進学していません。成績が「中」と答えた生徒で非進学組を合わせると、全体人数のうち22%もの生徒が、進学に相当する学力があるにもかかわらず大学へ行っていないことになります。むろん、このうち、本人の意思で「大学へ行きたくない」という生徒もいるでしょう。しかし、進学したいけれども家計の事情で行けない生徒がいるということを、このデータは示唆しています。少なくとも、学力の順に進学していない事実を物語っている。学力が平均よりも低いのに進学している生徒がいる一方で、学力が平均よりも高いにもかかわらず、進学していない生徒がいるのです。

意欲も学力もあるのに大学へ進学できない高校生

 そもそも大学進学率が長い間50%前後を安定的に推移していることを不思議だと思わなければいけません。しかもその内実を見ると、極端な地域格差があり、その格差が固定したまま推移しています。例えば、東京の進学率は現在18歳人口のおよそ70%に達しています。それに対して、40%以下の地方は数多い。75年ごろの東京の進学率は66%で、50%を超えるのは、神奈川・愛知・京都・大阪・広島に限られ、それ以外の地方は概ね40%前後でした。この30年間で、その比率はほとんど変わっていません。
 NHK放送文化研究所が03年に実施した「日本人の意識調査」によると、「中学生の子どもがいるとしたら、どの程度の教育を受けさせたいですか」という質問に対する回答では、男子の場合「大学・大学院まで」が76%に達しています。この調査は73年から5年おきに行われていますが、第1回でも同様の回答が70%を占めました。
 図表1で示したように、成績が「中の上」以上で進学しない生徒が21%もいますから、学びたいという意欲も学力もあるにもかかわらず、家計の事情によって進学できない高校生は、少なくとも21%の半分はいるでしょう。全体の1割になるこうしたグループを放置して、「大学全入の時代」などといえるのでしょうか。そうした高校生に対する財政支援がないことを無視したまま「大学全入」という表現を使うのは、結果的に政策課題を隠蔽することになります。
 改正された教育基本法の第4条「教育の機会均等」の3には次のような記述があります。「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない」。50%進学という数字の裏に潜んでいる社会的矛盾の放置は、この規定に違反します。奨学金という措置を講じているではないか、と反論されるかもしれませんが、現行の奨学金はローンですから財政支援とはいえない。この点については後述します。
   PAGE 1/5 次ページ
研究者(BERD)TOPへ戻る 2007年度バックナンバーへ戻る