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教員養成カリキュラムの質保証へ向けて
──「体験と省察の往還」と到達目標の設定──
岩田康之[東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター准教授]

教員養成教育で身に付けるべき資質と専門性とは何か。
カリキュラムの質はどのように保証されるのか。
教師の力量・指導力不足に対する批判が高まる中、他の専門分野と同様、カリキュラムの標準化や到達目標の統一基準が求められるようになってきた。
2001年からスタートした日本教育大学協会「モデル・コア・カリキュラム」研究プロジェクトの中核メンバーである岩田康之先生に、研究の中で浮かび上がった課題を踏まえ、教員養成の「質保証」において大学が担う役割について、話をうかがった。
カリキュラムの質はどのように保証されるのか。
教師の力量・指導力不足に対する批判が高まる中、他の専門分野と同様、カリキュラムの標準化や到達目標の統一基準が求められるようになってきた。
2001年からスタートした日本教育大学協会「モデル・コア・カリキュラム」研究プロジェクトの中核メンバーである岩田康之先生に、研究の中で浮かび上がった課題を踏まえ、教員養成の「質保証」において大学が担う役割について、話をうかがった。
大学における教員養成の「質保証」が
求められている背景は何でしょうか。
求められている背景は何でしょうか。
一つには、高等教育のさまざまな分野で到達目標のガイドラインを決める動きが盛んになってきたことがあります。工学教育におけるJABEE(日本技術者教育認定機構)、医学教育におけるモデル・コア・カリキュラムをはじめ、薬学、看護学、保健学などの分野でも同様の動きが見られました。理系のみならず、文系でも「コアカリキュラム 文学分野の研究開発」というレポートが2000年に出されています。教員養成分野でもそうしたものが必要だという要請が強くなってきました。
もう一つには教師の力量不足、指導力不足に対する社会的批判が強くなってきたこと。その矛先は教員養成をする大学に向かっています。戦後、かつての師範学校と一般大学とを同列の教員養成機関として位置付けた開放制という原則の下で、教員免許状を発行する大学が増えましたが、それに対して質的なチェックが統一的に行われていない現状があるからです。
いわゆる「ペーパーティーチャー」の社会人は少なくありません。現在、教員免許状は小学校、中学校、高等学校を合わせて年間20万枚ほど出ています。実数は、1人で複数の免許を取る人もいるので十何万人かでしょうが、22歳人口が大体150万人ですから、同年代の1割程度が教員免許状を持っている計算になる。40人学級で80人ぐらいの保護者がいると、7〜8人は教員免許を持っているのが平均的状況です。当然「私が教員免許状を取った時はけっこういい加減だった」という思いを抱く保護者も多い。安易に教員免許状が取れるのはおかしい、という批判が説得力を持ってきたのです。
教員免許状を取得するための単位修得の基準が大学や教員ごとに不揃いだという問題に加えて、履修する内容がまちまちだという問題もあります。
教育職員免許法で履修すべき単位の大枠は決められています。しかし、例えば「教職の意義等」が2単位と決められていても、その授業で何をやるかは担当教員の考え方によってかなり違います。ある先生は教員免許状の意味から教えるかもしれないし、他の先生は教員免許状については「教育の社会的・制度的・経営的事項」に関する科目に委ねるかもしれません。私の例でいうと、「教育の社会的・制度的・経営的事項」に該当する科目は、明治大学では「教育行政学」という名前で、埼玉大学では「教育学概説B(制度)」という名前で開講していますが、どちらの授業でも自分の専門に近い教員養成制度を軸に教育制度や行政の講義を進めています。しかし外国の教育制度が専門の先生なら、その国と日本の比較が軸になるかもしれません。
このように、法的には同じ位置付けの授業でも内容が異なります。すると教員免許を取るまでの学習内容が学生によって揃わない事態が起こり得る。これはまずいのではないか、という批判が大きくなってきたのです。
もう一つには教師の力量不足、指導力不足に対する社会的批判が強くなってきたこと。その矛先は教員養成をする大学に向かっています。戦後、かつての師範学校と一般大学とを同列の教員養成機関として位置付けた開放制という原則の下で、教員免許状を発行する大学が増えましたが、それに対して質的なチェックが統一的に行われていない現状があるからです。
いわゆる「ペーパーティーチャー」の社会人は少なくありません。現在、教員免許状は小学校、中学校、高等学校を合わせて年間20万枚ほど出ています。実数は、1人で複数の免許を取る人もいるので十何万人かでしょうが、22歳人口が大体150万人ですから、同年代の1割程度が教員免許状を持っている計算になる。40人学級で80人ぐらいの保護者がいると、7〜8人は教員免許を持っているのが平均的状況です。当然「私が教員免許状を取った時はけっこういい加減だった」という思いを抱く保護者も多い。安易に教員免許状が取れるのはおかしい、という批判が説得力を持ってきたのです。
教員免許状を取得するための単位修得の基準が大学や教員ごとに不揃いだという問題に加えて、履修する内容がまちまちだという問題もあります。
教育職員免許法で履修すべき単位の大枠は決められています。しかし、例えば「教職の意義等」が2単位と決められていても、その授業で何をやるかは担当教員の考え方によってかなり違います。ある先生は教員免許状の意味から教えるかもしれないし、他の先生は教員免許状については「教育の社会的・制度的・経営的事項」に関する科目に委ねるかもしれません。私の例でいうと、「教育の社会的・制度的・経営的事項」に該当する科目は、明治大学では「教育行政学」という名前で、埼玉大学では「教育学概説B(制度)」という名前で開講していますが、どちらの授業でも自分の専門に近い教員養成制度を軸に教育制度や行政の講義を進めています。しかし外国の教育制度が専門の先生なら、その国と日本の比較が軸になるかもしれません。
このように、法的には同じ位置付けの授業でも内容が異なります。すると教員免許を取るまでの学習内容が学生によって揃わない事態が起こり得る。これはまずいのではないか、という批判が大きくなってきたのです。
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