BERD 2007 No.11
【特集】
インタビュー
profile
池田謙一
東京大学大学院人文社会系研究科教授
いけだ けんいち

東京大学大学院人文社会系研究科・文学部社会心理学研究室教授。
東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。
博士(社会心理学)。
明治学院大学法学部政治学科助教授、東京大学文学部助教授を経て現職。
著書に『社会科学の理論とモデル5 コミュニケーション』(東京大学出版会)、『政治のリアリティと社会心理』(木鐸社)などがある。
Refarences
●『社会科学の理論とモデル5 コミュニケーション』池田謙一著/東京大学出版会/2000年
●「若年層の社会化過程における携帯メール利用の効果」小林哲郎・池田謙一著/『社会心理学研究』第23巻第1号所収/日本社会心理学会/2007年
●『社会のイメージの心理学〜ぼくらのリアリティはどう形成されるか〜』池田謙一著/サイエンス社/1993年
●『ネットワーキング・コミュニティ』池田謙一編著/東京大学出版会/1997年
BERD
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共有を意図的に進めるコミュニケーション
──「寛容性」を育むことの大切さ──
池田謙一[東京大学大学院人文社会系研究科教授]

池田謙一
  外来語である「コミュニケーション」の原義には「意味を共有する」というニュアンスがあるという。
 さまざまな生活場面でコミュニケーションが問われている現在、重視すべきは異質な他者との意味の共有を意図的に進めることであるとするコミュニケーション理論が専門の池田謙一先生に、コミュニケーション研究の最前線と先生が行った携帯メール利用の実証研究についてうかがった。
見落とされてきた「意味の共有」というコミュニケーションの原義
 コミュニケーションという言葉を辞書で引くと、例えば次のように定義されています。
 「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする」(『広辞苑 第五版』)
 これを見ると分かるように、「何事かを伝達する」という側面が強調されています。しかしここで抜け落ちている要素がある。それは「意味を共有する」という側面です。
 “communication”の語源はラテン語ですが、OED(オックスフォード英英辞典)によると、動詞の“communicate”には「多くの人に共通のものとすること、分かち合うこと、分け与えること、分けること」というニュアンスの原義があります。どうやら、英語の“communication”という言葉が日本に入ってきたときに、原義の一部が抜け落ちてしまったようです。
 インフォメーションという言葉の移入も似たような経緯をたどりました。これは「諜報」という訳語を経て「情報」になったのですが、ここでもやはり「伝達」の側面が強調されています。しかし、“information”の原義を分解すると「意味を形成する」(formation)という側面もあるのです。
 すなわち、何事かをこちらからあちらへ伝達したときに、意味を形成して初めて、その場にいる人たちが共有できる。ところが、インフォメーションやコミュニケーションという外来語が定着する過程で、何事かを「抜き出し」たり「送りつけ」たりする側面ばかりが強調され、意味を「形成」し「共有」する側面が抜け落ちてしまったわけです。
 これは恐らく、明治初期の日本の国家形成期にも、ラジオ放送が始まってマスメディアが発達した時期にも、意味の伝達の方に力点が置かれていて、意味を共有することはあまり考慮されていなかったからではないでしょうか。
 しかし、明らかに日常のコミュニケーションを考えた場合、ただ一方的に伝達するだけでは駄目で、意味を共有し相手が分かることを話すのでなければ、うまくいきません。
 実はアメリカでも、意味の共有は対人コミュニケーションの中であまり重視されてきませんでした。アメリカ的な文脈でいうと、コミュニケーションとは意味を人に伝えて、なおかつ人を動かす技術だ、ということが強調され過ぎています。研究の動向でもそうで、社会心理学におけるコミュニケーションの研究というと、説得や交渉といった技術が主流を占めており、意味の共有の研究はごくわずかです。
 一方で、日本人には伝統的な素地として「和を重んじる」精神がありますから、共有の大切さは分かってはいるものの、事実としては「共有を意図的に進めてゆく」コミュニケーションの仕方は育んできませんでした。「以心伝心」という言葉が端的に示すように、意味は初めから共有されているので話すまでもない、という風土が伝統的にあったからです。
 しかしその伝統が崩れ出しています。社会的な流動性が高まって、日本人の多くが、もともと生まれた所には住んでいない。かつてのような血縁・地縁に支えられた結束の強いコミュニティは崩壊し、社会的規範の共有が薄れて、以心伝心もあやしくなりつつあります。そろそろ日本人も「共有を意図的に進めてゆく」コミュニケーションの仕方を育むべき時期にさしかかっているのではないでしょうか。
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