BERD 2007 No.11
【連載】
教える「現場」
育てる「言葉」
profile
三菱重工業下関造船所

しものせきぞうせんじょ
フェリーをはじめ、特殊船、軽合金製の高速船などを手掛けるほか、油圧技術を基にした各種油圧機器、試験装置、甲板機械などの製造も手掛ける。最近では、ボーイング787の主翼用ストリンガー(縦通材)を製作している。その技術レベルは世界でもトップクラスといわれる。

シニアエキスパート
村上 寛(中央)

むらかみ ひろし
1945年生まれ。船ブロック組立技能者。定年後もシニアエキスパートとして活躍。2000年に山口県知事から優秀技能者として表彰される。

総務部総務勤労課
人事担当課長
谷内英夫(右)

やち ひでお
「技能塾」の創設を含め、技能伝承問題に取り組んでいる人事担当。造船業界が抱える人材不足問題の解決と人材育成の方法を模索中。

技能塾講師
松本告行(左)

まつもと つぐゆき
船の「血管」ともいえるパイプ部分を担当する、この道35年のベテラン。今年から「技能塾」の講師に。
BERD
   PAGE 1/3 次ページ

現場レベルの声を生かした"技能伝承"
技能者の育成に大切な長期的視野

松本告行(左) 村上 寛(中央) 谷内英夫(右)
 1970年代から長い間不況が続いた日本の造船業界。
 だが、近年になって状況は大きく好転し、その高い技術力が再び注目されている。
 そんな中で浮上したのが、造船技術の伝承問題。
 オイルショックによる不況時の採用ストップは若手・中堅技能社員の不在、という問題を生じさせた。
 技術を受け継ぐ者が消えかけるという危機に直面した造船所の取り組みを取材した。
長引く造船不況が招いた技能伝承の危機
 本州の最西端、山口県下関市。関門海峡に面するこの地は、古くから造船業で栄えてきた。三菱重工業下関造船所も、1914(大正3)年の創業以来、100年近くにわたって、数多くの船舶を世界中の海へ送り出してきた。
 そんな造船所を支えているのが、技能系社員たちだ。造船業が他の多くの製造業と異なる最大の要因は、ほとんどが「受注生産」であること。自動車や家電製品をはじめ、現代の工業製品の多くは大量生産が前提だ。しかし、船舶という特殊かつ大型の乗り物となると、形や大きさ、機能など一隻ずつすべて異なる。現場の技能系社員の熟練した技能や、長年の経験なくしては成り立たない産業だ。だからこそ、一人前の造船技能者になるには、30年かかるともいわれている。
 この造船所は、つい最近まで危機的な状況に見舞われていた。造船業は戦後の日本経済を支えた主要産業の一つだ。しかし、1970年代の2度のオイルショックで造船業界は不況が続き、15年もの間、技術者の社員採用は抑制されていた。
 「この下関造船所でも、現在40歳代の社員は極端に少ないんです。世間では団塊世代の大量退職による『2007年問題』が話題になっていましたが、我々が直面している問題は、もっとずっと深刻なものでした」。こう語るのは、現在、下関造船所総務部で人事を担当している谷内英夫さん。この問題に社が取り組み始めたのは、谷内さんが本社の人事部に転勤した時期とちょうど同じ、2002年のある事故がきっかけだった。
 「当社の長崎造船所で、客船『ダイヤモンドプリンセス』が火災事故に見舞われました。社を挙げて事故の原因を探る中で、『現場で起きている大切な問題を、社として見落としているのではないか』という声が上がりました。そこで、現場の声にもう一度耳を傾けてみたところ、“技能伝承”の問題が浮かび上がったんです。よりよい船をつくること、安全に作業すること、そのすべては現場の“技能”にかかっているわけですから」(谷内さん)
 技能系社員として42年間下関造船所に勤務し、定年退職した現在もシニアエキスパートとして現場を牽引する村上寛さんは、当時を振り返ってこう語る。「技能を教えたくても、教える相手がいない。そういう状況が長く続きましたから、我々技能系社員は、つくる技能はあっても、教える技能がなくなりかけていました。退職者の送別会は年を追うごとに増え続け、職場から1人、また1人と技能者が辞めていく。現場にとっては切実な問題でしたよ」。
 現場の声が生かされたのは、技能系社員教育の必要性だけでなく、その育て方にまで及んだ。「近年、技能の伝承にもマニュアル化やデジタル化が必要だといわれていますが、現場の技能系社員はみな口を揃えて『本当にそうだろうか?』というんです。後進たちにモノづくりの本当の難しさや面白さを知ってもらうには、優れた技能社員の仕事に対する接し方や、生き方、つまり、人格そのものから受け継いでもらいたいものもたくさんある──。ほかの業界から見れば古いスタイルかも知れませんが、昔ながらのその伝え方の大切さに、現場に常にいるわけではない我々も気付き始めました。そこで、我々に合った独自の技能伝承の方法を模索することにしたんです」(谷内さん)。
   PAGE 1/3 次ページ
研究者(BERD)TOPに戻る 2007年度バックナンバーへ戻る