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消費社会における若者の労働意欲
──記号的に職業を捉える若者たち──
内田 樹[神戸女学院大学文学部総合文化学科教授]

2007年に刊行され、話題となった内田樹先生著の『下流志向』は、学びや労働から逃走する子どもや若者を、「消費主体」という言葉を使って分析していた。
若者たちの意欲の変化は、特に近年の労働意識に見られる。
消費社会の進行が、若者の就労観をどのように変えたのだろうか。
若者の労働意欲や労働意識について話をうかがった。
若者たちの意欲の変化は、特に近年の労働意識に見られる。
消費社会の進行が、若者の就労観をどのように変えたのだろうか。
若者の労働意欲や労働意識について話をうかがった。
『下流志向』を上梓されてから1年半が経ちました。同書の中では子どもや若者の学習意欲、労働意欲の低下が描かれていましたが、その後どのような変化が起きていると感じますか。
『下流志向』は若者たちの「学びからの逃走・労働からの逃走」について述べたものでした。いま学習意欲については、『下流志向』で指摘したような「全力を尽くして学びを拒否する」という状況は、やや弱まってきたのではないかと感じます。「そんなに無理せず、したければ勉強してもいいんじゃないの?」という人たちがポツポツと出てきているような気がしますね。でも、継続的に就労することに対する意欲は、さらに減退しているように思えます。
継続的に就労することに対する意欲の低下は、どのような場面で感じられますか。
新卒で就職してすぐに転職を考え始めるというケースが増えているそうです。少し前までは「若者は3年で会社を辞める」といわれていましたが、今は1、2か月で転職する新卒の人も珍しくありません。これは就職情報産業が流している「適職イデオロギー」の影響が大きいと僕は見ています。
どこの大学でも、「キャリア教育」の一環として就職情報会社から講師を招いて、就職活動を始める2、3年生対象のセミナーを開催しています。そこで講師は学生たちに「みなさんは自分の適性を発見し、それにふさわしい適職を選び出すのがこれから1年の急務です」とアナウンスします。もちろん学生たちは講師の言葉を真に受けますから、「世界のどこかに、私を待っている天職がある。それに出合わなければならない」という刷り込みをされる。学生たちはそれ以後、就職活動の間、ずっと「天職」を探し続けることになります。
でも、二十歳そこそこで自分の適性なんか分かるはずがないし、ましてや「天職」なんかに出合えるはずもない。だから内定をもらっても、就職活動をやめることができない。「もっと自分に合った会社があるかもしれない」と考えるからです。そして、取りあえずこの辺が「適職」かしら……というあたりで手を打って、4月になって働き始めてみて、与えられた仕事に愕然とすることになります。新入社員に与えられる仕事には雑用もあるでしょう。「私はこんな仕事をするために入社したわけじゃない!」とフラストレーションがたまる。
だから、ちょっと上司に叱られたり、同僚とそりが合わないという程度の理由で「ここは私のいるべき場所じゃない」という結論に飛びついてしまいます。そして「ほんとうに自分にふさわしい職業」を探して「天職探し」の旅を続けることになる。
これは「世界に一人しかいないベスト・パートナー」を探し求めて、頻繁に恋人を取り替える人に似ています。外から見ると、彼らは恋愛に対してアクティヴに見えますが、本人はいたってストイックです。「この人こそ、ベスト・パートナーだ」と思える人に出会うまで妥協したくないのです。けれども生得的形質も生育環境も違う2人の考え方や感じ方がぴたりと一致することなどあるはずがない。だから、わずかな齟齬がきっかけで、「私が待っていたのはこの人ではない」という結論に短絡してしまう。本来結婚というのは、考え方も感じ方も異なる人間同士が、折り合い、共通のルールを作り、場を共有していく過程で、人間的な深みや奥行きを増してゆくというダイナミックなプロセスのはずですけれど、若い人たちはそれに気付かない。
職業も同じで、自分の理想通りの仕事でなきゃ働きたくないなんていうわがままは通らない。どんな仕事だって、まず働いてみる。その中で自分が何を求められているのかを察知して、それに応えようとする中で、次第に自分の資質や適性が分かってくる。適性は仕事を始める前にあるものではなくて、仕事をした後に知ることができるのです。
どこの大学でも、「キャリア教育」の一環として就職情報会社から講師を招いて、就職活動を始める2、3年生対象のセミナーを開催しています。そこで講師は学生たちに「みなさんは自分の適性を発見し、それにふさわしい適職を選び出すのがこれから1年の急務です」とアナウンスします。もちろん学生たちは講師の言葉を真に受けますから、「世界のどこかに、私を待っている天職がある。それに出合わなければならない」という刷り込みをされる。学生たちはそれ以後、就職活動の間、ずっと「天職」を探し続けることになります。
でも、二十歳そこそこで自分の適性なんか分かるはずがないし、ましてや「天職」なんかに出合えるはずもない。だから内定をもらっても、就職活動をやめることができない。「もっと自分に合った会社があるかもしれない」と考えるからです。そして、取りあえずこの辺が「適職」かしら……というあたりで手を打って、4月になって働き始めてみて、与えられた仕事に愕然とすることになります。新入社員に与えられる仕事には雑用もあるでしょう。「私はこんな仕事をするために入社したわけじゃない!」とフラストレーションがたまる。
だから、ちょっと上司に叱られたり、同僚とそりが合わないという程度の理由で「ここは私のいるべき場所じゃない」という結論に飛びついてしまいます。そして「ほんとうに自分にふさわしい職業」を探して「天職探し」の旅を続けることになる。
これは「世界に一人しかいないベスト・パートナー」を探し求めて、頻繁に恋人を取り替える人に似ています。外から見ると、彼らは恋愛に対してアクティヴに見えますが、本人はいたってストイックです。「この人こそ、ベスト・パートナーだ」と思える人に出会うまで妥協したくないのです。けれども生得的形質も生育環境も違う2人の考え方や感じ方がぴたりと一致することなどあるはずがない。だから、わずかな齟齬がきっかけで、「私が待っていたのはこの人ではない」という結論に短絡してしまう。本来結婚というのは、考え方も感じ方も異なる人間同士が、折り合い、共通のルールを作り、場を共有していく過程で、人間的な深みや奥行きを増してゆくというダイナミックなプロセスのはずですけれど、若い人たちはそれに気付かない。
職業も同じで、自分の理想通りの仕事でなきゃ働きたくないなんていうわがままは通らない。どんな仕事だって、まず働いてみる。その中で自分が何を求められているのかを察知して、それに応えようとする中で、次第に自分の資質や適性が分かってくる。適性は仕事を始める前にあるものではなくて、仕事をした後に知ることができるのです。
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