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教員制度改革を教師はどう受け止めるか
──「個業」から「協業」へ向けて──
安藤知子[上越教育大学准教授]

教員評価制度や教員免許更新制度を現場の教師たちはどう受け止めているのか。
そこに制度設計の意図とのずれはないのだろうか。
「教師の葛藤と発達」をめぐる研究で、研修の現場で教師の生の声を聞いている安藤知子先生に、制度改革に対する教師の姿勢と、葛藤を越え改革動向を好機として生かす道筋をうかがった。
そこに制度設計の意図とのずれはないのだろうか。
「教師の葛藤と発達」をめぐる研究で、研修の現場で教師の生の声を聞いている安藤知子先生に、制度改革に対する教師の姿勢と、葛藤を越え改革動向を好機として生かす道筋をうかがった。
キーワード=聖職的な教師像、教育のマネジメント、ミドルリーダー、社会学的アンビバレンス
最近の教育改革の動向の中で、教師はどのような立場に置かれていると考えられますか。
改革動向には多様な文脈があります。私なりにそれを整理すれば、第一に大きな枠組みとしての「公務員制度改革」の文脈、第二に保護者と地域社会の教育力を高めようとする「地域教育改革」の文脈、第三に市場主義の導入を促すような「自由化路線改革」の文脈ということになるでしょう。
このように改革の文脈は多様でありながらも、改革の矛先または眼差しの対象は、ただ1か所に集約されています。
すなわち「学校」という既存の組織です。
地方分権の流れを受け、元気のよい自治体の行政は学校への発言力、行動力を増しています。コミュニティスクール(学校運営協議会制度)の導入に象徴されるように、保護者と地域住民も学校に対して、どんどんものがいえるようになっている。自由化路線の文脈では、これまでもことあるごとに財界は教育界に提言してきましたが、民間企業出身校長の登用や、地域連携としての社会人講師の参画など、より実質的な関わりを学校に対して持つようになってきました。
では、その改革の矛先、眼差しの対象となっている学校の中心にいる教師は、教育の進め方や方針について、同じように発言できていたでしょうか。必ずしもそうとはいえません。
保護者と地域住民の学校経営参画が議論される一方で、教師の学校経営参画も議論されてきたはずなのですが、そこだけが立ち遅れるか、抜け落ちた状態になっています。
教育行政も保護者も地域社会も財界も、自由に学校に対して発言し、関われる状況が生まれているにもかかわらず、一番肝心の教師が一方的にいわれる側に立ってしまい、いいたいことがいえない状況のままでいるのではないでしょうか。
保護者、地域住民、教師が一つのテーブルについて話し合う機会は確かに増えています。その場で保護者や地域住民は自分という主体を基に思ったことを喋っているのに対して、教師はどういうことを話しているかというと、概ね一般論としての「学校は……」「教師は……」という主語で話をする。「自分が教師として子どもたちに何をしたい」という思いを発言する場にはなっていないことがよくあるようです。
このように改革の文脈は多様でありながらも、改革の矛先または眼差しの対象は、ただ1か所に集約されています。
すなわち「学校」という既存の組織です。
地方分権の流れを受け、元気のよい自治体の行政は学校への発言力、行動力を増しています。コミュニティスクール(学校運営協議会制度)の導入に象徴されるように、保護者と地域住民も学校に対して、どんどんものがいえるようになっている。自由化路線の文脈では、これまでもことあるごとに財界は教育界に提言してきましたが、民間企業出身校長の登用や、地域連携としての社会人講師の参画など、より実質的な関わりを学校に対して持つようになってきました。
では、その改革の矛先、眼差しの対象となっている学校の中心にいる教師は、教育の進め方や方針について、同じように発言できていたでしょうか。必ずしもそうとはいえません。
保護者と地域住民の学校経営参画が議論される一方で、教師の学校経営参画も議論されてきたはずなのですが、そこだけが立ち遅れるか、抜け落ちた状態になっています。
教育行政も保護者も地域社会も財界も、自由に学校に対して発言し、関われる状況が生まれているにもかかわらず、一番肝心の教師が一方的にいわれる側に立ってしまい、いいたいことがいえない状況のままでいるのではないでしょうか。
保護者、地域住民、教師が一つのテーブルについて話し合う機会は確かに増えています。その場で保護者や地域住民は自分という主体を基に思ったことを喋っているのに対して、教師はどういうことを話しているかというと、概ね一般論としての「学校は……」「教師は……」という主語で話をする。「自分が教師として子どもたちに何をしたい」という思いを発言する場にはなっていないことがよくあるようです。
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