富岡製糸場について知る

2014年6月に世界文化遺産に登録された富岡製糸場※は、「産業遺産」ともよばれ、近代日本の工業において大きな役割を果たしたことが評価されています。日本の近代史上で重要な位置を占めていることから、中学入試でも歴史分野で問われることが予想されます。
そこで今回は、富岡製糸場が近代史上どのような意味をもっていたのか、確認していきましょう。
※世界文化遺産指定は「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)



クイズde基礎知識

富岡製糸場が操業を開始したころの、日本の輸出品第1位はなに?/富岡製糸場を設立したのは誰?/富岡製糸場で働いていた労働者は、その後各地の工場に派遣された。なぜ?/製糸業などの工場制工業の発達によって発生するようになった運動は?


時事問題を学ぶきっかけになる題材をクイズ形式でご紹介します。基本情報の整理に、親子で時事問題について話題にするきっかけに、入試・適性検査対策に、お役立てください。

Q1

富岡製糸場が操業を開始したころの、日本の輸出品第1位はなに?


A.機械類
B.生糸
C.綿花


A1 正解は 「B.生糸」 です。


江戸時代末期に江戸幕府がアメリカ合衆国にせまられて開国すると、欧米諸国との貿易が始まりました。産業革命により工業化の進んでいた欧米諸国からは大量生産された毛織物や綿織物などが輸入される一方、日本からの輸出品の中で多くの割合を占めていたのは生糸でした。品質のよい日本の生糸は海外で多く求められ、太平洋戦争のころまで日本の主要な輸出品の地位を維持し続けます。

しかし、そのように欧米諸国が日本の生糸を求める一方、1860年ころの日本では生糸の生産は手作業中心で行われており、しだいに生産が追いつかなくなっていきました。その結果、品薄になったことにより価格が異常に高くなったり、強引な生産により品質が悪くなったり、といった問題が起こるようになりました。



Q2

富岡製糸場を設立したのは誰?


A.日本政府
B.イギリス政府
C.日本の株式会社


A2 正解は 「A.日本政府」 です。


生産が追いつかない中、輸出品として主要な地位を築いていた生糸は、欧米諸国に並ぶ工業力、そして経済力をもつようになることを目的としていた、当時の日本政府の殖産興業政策において重要な意味をもっていました。

当時、日本政府は旧幕府や旧藩が経営していた鉱山や工場などを引き継いで国のものにするとともに、欧米の技術者を呼び寄せて進んだ技術を積極的に取り入れていきました。製糸業においても、フランス人技師であるポール・ブリュナの指導をあおぎ、1872年に国が経営する富岡製糸場が設立されました。富岡製糸場には製糸のための器械が設置され、それまでの手作業での製糸よりも飛躍的に生産効率が上がりました。
また、ポール・ブリュナは工場の設置場所の選定からかかわり、
 ●元から養蚕がさかんで、生糸の原料である繭を入手しやすいこと
 ●工場の建設に必要な広大な土地があること
 ●製糸に必要な水が大量に得られること
 ●工場の稼働に必要な燃料となる石炭が近くで採れること
など、製糸業に最適な条件が整っている地域を調査し、その結果、条件を満たす群馬県の富岡に設置が決定されました。日本政府は、製糸工場の設立にあたり設置場所などにも細心の注意をはらっていたのです。


Q3

富岡製糸場で働いていた労働者は、その後各地の工場に派遣された。なぜ?


A.人手不足を補うため
B.技術を習得するため
C.技術指導を行うため


A3 正解は 「C.技術指導を行うため」 です。


富岡製糸場は日本で最初に設置された国が経営する器械製糸工場であり、国内では最先端の技術をもっていました。しかし、日本政府は富岡製糸場を単なる工場ではなく、全国に先立ち今後の日本の効率的かつ高品質な製糸業の模範となる工場にしようとしたのです。

そのため、富岡製糸場で働いて器械を使った製糸の技術を習得した労働者は、その後各地につくられた製糸工場に派遣され、技術指導にあたりました。そういった取り組みの結果、日本の器械製糸はその後も発展を続け、その生産量は飛躍的に増大していきました。


Q4

製糸業などの工場制工業の発達によって発生するようになった運動は?


A.労働運動
B.自由民権運動
C.独立運動


A4 正解は 「A.労働運動」 です。


富岡製糸場をはじめとする製糸工場の労働力の主力は女子労働者でしたが、製糸工場では一般的に長時間のつらい労働を強いられることが多かったようです。製糸工場で働く女子労働者の実態は『あゝ野麦峠』(山本茂美)といった書物でも著されています。

長時間労働に加え、支払われる賃金も安く、劣悪な労働条件に耐えられなくなった労働者はやがてストライキなどの労働運動を起こすようになり、労働組合をつくり団結するようになっていきます。
明治政府による殖産興業政策により日本の産業は急激に近代化が進められましたが、その陰でたくさんの労働者が苦難を強いられたと言えるでしょう。



親子でやってみよう

富岡製糸場ができた時代、どのような産業がさかんになり、どう変わったのかを調べてみよう。


中学入試では、富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録に絡めて、明治時代の殖産興業についても問われる可能性があります。Q1~Q4の解説を読んで、当時の日本は他国とどのような関係であり、なぜ産業がさかんになったのかなどといった背景を理解しておくとともに、富岡製糸場のような製糸業以外にも政府がどのような産業を発展させようとしていたのか、それによって時代がどう変わったのかを知っておくと歴史の流れの理解が深まります。

他国に劣ることのない「富国」を実現するため、日本政府はあらゆる方面の近代化を推し進めました。交通・通信はどのように変化したか、どんな官営工場が設立されたかなどを詳しく調べてノートにまとめてみましょう。

また、富岡製糸場が操業した1872年からさらに時間を経て、日清戦争や日露戦争後に日本の産業がどのようになったのかも調べ、比較できると時代の変遷がわかります。




もっと知りたい

富岡製糸場について学べる本/日本の世界遺産について学べるサイト/富岡製糸場について学べるサイト


Webサイト
『世界へはばたけ!富岡製糸場~まゆみとココのふしぎな旅~』『富岡製糸場事典(シルクカントリー双書)』『富岡製糸場ホームページ(富岡製糸場)』
『世界へはばたけ!富岡製糸場~まゆみとココのふしぎな旅~』
(上毛新聞社編/富岡製糸場世界遺産伝道師協会著/800円=税別)
『富岡製糸場事典(シルクカントリー双書)』
(上毛新聞社編/富岡製糸場世界遺産伝道師協会著/1500円=税別)
『富岡製糸場ホームページ(富岡製糸場)』
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html
富岡製糸場の価値をわかりやすく解説した本。主人公のまゆみと、まゆの妖精ココが富岡製糸場の歴史や、養蚕・製糸・織物業について紹介しています。富岡製糸場と絹産業遺産群について、建設計画/建物/建設・資材/機械・技術/人物/工女の暮らし/経営の7つのキーワードをもとに丁寧に解説された一冊。大人向けですが、富岡製糸場のすべてが学べます。富岡製糸場のサイト。富岡市のイメージキャラクター「お富ちゃん」が、富岡製糸場のあらましや時代背景などを紹介しています。写真ギャラリーや映像コンテンツも楽しめます。

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