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中学社会 定期テスト対策【中世(鎌倉時代~室町時代)】 堺の鉄砲鍛冶について

【中世(鎌倉時代〜室町時代)】 堺の鉄砲鍛冶について

なぜ,堺で鉄砲が盛んに作られるようになったのでしょうか? また,買っていたのはだれですか?

進研ゼミからの回答

堺で鉄砲作りが盛んになった理由としては,
・もともと堺では,平安時代の末期から鋳物(いもの)事業を行っていたこと
・貿易の港として栄えて有力な商人がおり,その中の一人が種子島に寄った際に鉄砲を作る技術を覚えてきたこと
・織田信長が堺を掌握したこと
などが挙げられます。

堺は,平安時代の末期から,すでに鋳物事業(鉄などの金属を高温で溶かし,型に流し込んで器などを作ること)が盛んな町でした。
河内鋳物師(かわちいもじ)と呼ばれる集団が堺に住んでいて,鉄砲を作る鍛冶(かじ)技術の下地があったのです。

また,古くから重要な港で,勘合貿易のころも大変栄えました。有力な商人たちは自治を行い,貿易商人も育ちやすい環境だったのです。
そのようななか,有力な貿易商人,橘屋又三郎(たちばなやまたさぶろう)が琉球との交流の途中で,鉄砲が伝来したばかりの種子島に立ち寄りました。
橘屋又三郎は2年近く種子島に滞在し,鉄砲を作る技術を習得して帰りました。

時はちょうど戦国の世ですから,鉄砲は戦国大名たちが買っていきました。戦国大名たちだけでなく,石山本願寺も堺の鉄砲を使っていたようです。
1569年に織田信長が堺を支配し,堺の鉄砲鍛冶はますます盛んになりました。
1575年の長篠(ながしの)の戦いでは,武田軍の騎馬隊を多数の鉄砲で破っていますから,堺の鉄砲も大量に使われたと思われます。

なお,近畿では,ほかに近江の国友(くにとも),紀伊の根来(ねごろ)の鉄砲鍛冶が有名です。

  • ここで紹介している内容は2017年3月時点の情報です。ご紹介している内容・名称等は変わることがあります。

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