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「徒然草」の時代・思想、作者の吉田兼好についてご紹介。徒然草に学ぶ人生訓とは?

『徒然草』の作者・吉田兼好と『徒然草』が生まれた鎌倉時代末期

「つれづれなるままに~」の冒頭で知られる『徒然草』は、『つれづれ種(ぐさ)』と名付けられた鎌倉時代末期の随筆集で、『枕草子』『方丈記』と並ぶ日本三大随筆のひとつです。作者は吉田兼好(よしだけんこう)や兼好法師(けんこうほうし)の名で知られる卜部兼好(うらべかねよし)で、彼が48歳頃に、それまで書きためていた244もの散文をひとつにまとめたものと考えられています。

『吉田神社』の神職の家に生まれた吉田兼好は、幼い頃から非常に賢い子供でした。20歳前後から朝廷に勤め始めると、25歳頃には『大覚寺統』(だいかくじとう・鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた皇室の系統)の後二条天皇(ごにじょうてんのう)の外祖父(母方の祖父)の堀川家に側近として仕えることになります。ところが、後二条天皇が24歳の若さで亡くなると、大覚寺統と対立していた『持明院統』(じみょういんとう)の花園天皇(はなぞのてんのう)が即位し、吉田兼好は出世の道を絶たれたと言われています。諸説ありますが、1308年頃の後二条天皇の死をきっかけに知識人としての道を選んだ説、1324年頃の後宇多上皇(ごうだじょうこう)の死がきっかけとなった説があります。吉田兼好には、出世以上に自由に知識人として生きたいという思いがありました。そして努力や能力だけではどうにもならないことがあることを知り、出世や名誉を得ることに疑問を感じ、30歳頃に出家して世捨て人となります。

この時代、鎌倉幕府は、崩壊の時を迎えつつありました。天皇家では皇位継承をめぐる争いが続いており、先が見えない不安の中で、出家して僧になる道を選ぶ人が多かったようです。その多くは、特定の宗派に属して寺院で生活しながら修行しますが、吉田兼好はどこの宗派にも属さず、都のはずれに建てた庵で生活していました。時には旅に出てみたり、違う地域で暮らしてみたりと、自由気ままに生きながらも、自分の心と静かに向き合う中で生まれたのが『徒然草』でした。

余談ですが、吉田兼好は和歌の才にも秀でた人でした。『花は盛りに』から始まる『徒然草』第137段には、「花は満開の時のみを、月は雲がない状態の時のみを見るものではない。降っている雨を見て思いを馳せる月や、今にも咲きそうな梢(こずえ・樹木の先の部分)、花が散ってしまったあとの庭などにこそ、しみじみとした趣深さがある」という内容が記されており、吉田兼好の風流さがうかがえます。また、達筆であったことでも知られ、当時から文化人として名高い人でした。

しかしながら吉田兼好は、そのような自分の才を誇ることはしませんでした。世捨て人としての暮らしの中で、名誉などよりも自分の心が豊かであることの方がずっと大切であると、気づいていたからです。
そのためか、吉田兼好が残した随筆集は死後しばらく埋もれていましたが、それから250年以上もの時を経た江戸時代に大流行し、世に広まることとなります。江戸時代からさらに時を経た現代にいたってもなお、その生き方は多くの人の共感を呼び、吉田兼好が著した『徒然草』は、人生訓として人々に親しまれています。

『徒然草』の根底にある『無常観』とは? 現代人の心にも響く吉田兼好の教え

幕府の権威が地に落ち、朝廷も皇位をめぐって争いを続けていた鎌倉時代末期には、明日の自分がどうなるかも分からないという戦乱の世において、鎌倉仏教と結びついた『無常』という思想が生まれます。そして、『徒然草』の根底にもこの無常観があります。無常観は、
1. すべてのものは絶えず変化していくものである
2. この世のすべては幻で、仮の姿に過ぎない
というふたつの考え方のもとに成り立っている思想です。そのため、無常観と言うと「人はいずれ死ぬものである」という、どこか投げやりで、消極的な印象が思い浮かびます。しかし、『徒然草』の無常観には、人生や生きることに対する、前向きな意味が込められているのです。そのことがよく分かるのが、『徒然草』第92段にある、次の一節です。

原文:道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠(けたい)の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き。

訳:道を究めようと修行する人は、夕方には翌朝があると思い、朝になればまた夕方があると思って、あとから念を入れて修行に励もうと心積りをする。まして、一瞬のうちに怠け心があることを知るだろうか、いや知るはずがない。どうして、今一瞬において、実行することがひどく難しいのだろうか。

吉田兼好は、世の無常を感じて出家しました。確かに人はいずれ死ぬものであり、明日も、その先も、どうなるか分からないものです。しかし、「どうせ未来のことは考えても分からないのだから、先のことを嘆くのではなく、今を大切にするべきだ」と吉田兼好は『徒然草』の中で説いています。

もし、人生の中で何かに迷うことがあったら、吉田兼好の『徒然草』を思い出し、「今しかない」という気持ちで挑んでみましょう。今、この一瞬を大切に思う気持ちを持つことが、自分の心を豊かにする生き方へとつながっていくのではないでしょうか。

吉田兼好ゆかりの地『仁和寺』へ行ってみましょう

吉田兼好が住んでいた庵は、『仁和寺』(にんなじ)の近くにありました。そのため『仁和寺』の僧たちと関わりがあったようで、『徒然草』の中には、『仁和寺』に関わる人々の逸話もいくつか収められています。

吉田兼好は、世捨て人の道を選びながらも俗世間と完全に関わりを断つことはなく、程よい距離を保ちながら心の赴くままに生きていました。ぜひ『仁和寺』を訪れ、どんなことを思いながら『徒然草』をつづったのか、思いを馳せてみてください。

アクセスマップ

名 称:仁和寺
時 間:3月~11月は9時00分~17時00分、12月~2月は9時00分~16時30分(受付はいずれの時期も閉館時間の30分前まで)
休 日:なし
料 金:高校生以上500円・小中学生300円(御殿の拝観料)
住 所:京都府京都市右京区御室大内33
電 話:075-461-1155
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。