奇跡の逆転[中学受験]

 先日、あるカリスマ塾長からリンリンという昔の電話音がけたたましく鳴ったような声で電話がかかってきた。何やら相当困っていて、すぐ弁護士を紹介してほしい、とのこと。

 翌日、紹介先の法律事務所で一緒に事案をうかがうと、折込チラシにクレームがついた由で、顔写真と文章(合格体験記)を掲載した生徒の母親から大変な剣幕で掲載中止を申し入れられたらしい。そこでそのチラシと実際の生徒の合格体験記をしばらく見比べた弁護士が一言、「君どう思う?」と筆者に感想を求めた。その弁護士先生と筆者はその昔、オーナーと塾長の立場で学習塾を経営していた間柄である。そういう反問があれば答えが決まっているようなものであるが、一応意見を述べる。即ち、これは圧倒的に生徒の文章がよいのである。塾長先生が書き直したチラシ用の文章は折角のよさを文字通りツヤ消しして、単に偏差値が15から20くらいあがった、というもので、正直何も心に響くものがない。残念の一言。と申し上げた。弁護士先生はうなずきながら具体的に生徒の文章の一箇所一箇所を示して、その生徒の持っている塾長への敬愛の念のいかに深く、又自省に満ちているかを静かに語りかけ、やおら塾長に「あなたは詩を解されるのではないか」と問いかけた。最近物故された茨木のり子の詩をブツブツそらんじながら、あなたならこんな詩のすばらしさがわかるはずですね、とたたみかける。この当りで筆者などは先をよんで涙腺が弱いのでウルウルしかかり苦しい。この生徒の行間にあふれる信頼と敬意の念をあなたのチラシは売らんかなの通り一遍の文章に変えてしまった。私が親なら怒りますよ、とここはもう感情移入しての弁護士先生の直言がくる。

 もちろん、その後の展開は弁護士先生らしく、相手方主張の法的な裏づけ、当方の対応の方向性へと展開したのであるが、それはもう私などはわからぬ専門領域であり、いわば技術論であって枝葉にすぎない(しかもこれができて初めて高度専門職である弁護士が勤まるのであるが)。本質論は、カリスマ塾長が目の前の経営に目を奪われ、その以前にすばらしい教育者であることを一時忘れたことにある。そのことにカリスマ塾長が気づいてくれさえすれば双方にとって、よい結論が得られるはずなのである。

 実はこれは高校受験の話なのだが、中学受験と大いに通ずるところがある。それはこれから追々お話するつもりだが、この受験生の大きな変化は直前の12月も終わる頃であったことだ。しかも、その変化は心の中におこった変化であって、点数にでたものではなかった。従って実質1ヵ月で奇跡的な偏差値上昇をとげることになるのだが、それを引き出したのはやはりカリスマ塾長のなせる業であった。小学生の場合も心の変化がまずあって、それから成績にあらわれる。それがまた勇気付けになっていく。その心の変化をおこすのは信頼する指導者の言葉と態度だ。残された向こう1年の間にはその機会は十分にあるはずだ。

プロフィール


森上展安

森上教育研究所(昭和63年(1988年)に設立した民間の教育研究所)代表。中学受験の保護者向けに著名講師による講演会「わが子が伸びる親の『技』研究会」をほぼ毎週主催。

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