二番手校の実情[中学受験]

いつか某進学塾の代表が、「開成中学校、麻布中学校、武蔵中学校、桜蔭中学校、雙葉中学校、女子学院中学校など以外はすべて第2志望だ」と「名言」を吐いておられたが、それは実は進学塾自体の文化でもある。いわゆる御三家以外はみな第2志望以下とあたかも思い込ませるような偏差値文化が塾には漂っているようだ。

もっとも第1志望校においても、塾によっては麻布がダントツであったり、開成がダントツであったり、武蔵がダントツであったりと塾にはそれぞれかつて立地上のひいきがあって(今ではかなり薄れつつある)、そうすると子どもはその価値体系を素直に受け止めるから、水が高きから低きに流れるように成績優秀児であればあるほど、そのひいきの学校をこぞって志望したくなるのはむしろ自然の成り行きである。

受験の場合、定員が決まっているため、偏差値を競いあえば誰かの偏差値は上がり、誰かの偏差値は下がることになる。偏差値は相対評価で示されるから、その競争には際限がない。
子どもや親が懸命に競争して合格しそうな偏差値が見えてくると、何のことはない、そうしたトップクラスの学校を志望するようになるものなのだ。

しかし、そうもいかないのが大半の受験生だから、志望先を下げ、本来なら第2、第3志望扱いされている学校を「志望校」先の欄に書き込むことになる。

さてしかし、武運つたなくその第2、第3志望扱いの学校に入学することになる生徒が大半という今日の事態は、学校にとっては迷惑このうえない話であるようだ。

とりわけ相互に不幸なことになりかねないのは、そうした入学者の親がその学校に対して帰属意識をもたないほうに傾きがちなことにあると思う。

なぜ不幸かと言えば、本来は不幸でも何でもないことを自ら不幸だと思い込むのに似ている。
なにしろ一番手校はもし親がそう思っていないとしても周りが持ち上げてくれるから、もとより気分が悪かろうはずかない。
そこにもってきて、親同士の「高め合い」もあり、また出来の良い生徒は何かと楽しくもおかしい話題をもたらしてくれるものだ。つまり生徒文化も高ければ、学校自体の文化も高く、親の帰属意識が否が応でも強化されることは想像にかたくない。

しかし、これが二番手や三番手の学校となると、子ども以上に親が不本意入学だと思っているために、生徒文化も学校文化も、いまいち心に響かない。
学校文化というものは生徒はもちろん、親を巻き込んで成立するもので、親の意識的な共鳴のないところでは潤いのない疎外された集団にしかなりえないのが、二番手校の実情ではないだろうか。

プロフィール


森上展安

森上教育研究所(昭和63年(1988年)に設立した民間の教育研究所)代表。中学受験の保護者向けに著名講師による講演会「わが子が伸びる親の『技』研究会」をほぼ毎週主催。

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